むかしむかし、愛媛の道後温泉本館に行ったことがあります。風情のある建物でお湯を楽しみお茶を飲んでいると、ここが太古の昔から温泉地として栄えたような錯覚を覚えます。
でも、実は違うんです。ここが温泉地として発展を始めたのはここ100年ほどのこと。郷土愛深い一人の町長さんの功績がとても大きかったそうです。反対にもめげずに、地元住民と粘り強く交渉を続け、100年後たっても誰にもまねできない温泉地が造り上げたそうです。
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伊佐庭如矢さん
管理人も、NHKの知恵泉という番組を見るまでそのことを知りませんでした。(地元ご出身のタレント、真鍋かおりさんもご存知なかったとのこと)
先人たちの底力 知恵泉(ちえいず) – NHK(2014/11/18放送分)
以下、番組を見て管理人がとったメモ
・明治のなかば、町村制として道後湯之町として独立することになったこの地域は当時目立った産業がなかった。
・道後温泉も存在はしていたが、施設は朽ち果て悪臭が漂う。人が入る湯の近くに牛馬が利用する温泉もあって衛生的にもよくなかった。
・当時、松山城の取り壊しを市民憩いの公園として保存に成功した伊佐庭如矢氏に町長の白羽の矢がたった
・伊佐庭は温泉場を整備してここをウリに町おこしをしようと考えた。
・伊予風土記には、病気だった神様が道後の湯につかって元気になり踊りだしたという神話があることから「神の湯」をコンセプトに売り込むことにした。
・腕利きの地元の宮大工に、どこにもない洋風要素のある神の湯にふさわしい建物をと要求。現在の道後温泉本館の図面が出来上がった。
・建設予算は、現在のお金に換算すると20億円以上。住民も少なく負担が大きすぎると大反対を受けた。伊佐庭は命の危険を感じたこともあったという。
・建設図面を議会よりも住民に先に見せるなど建設過程をオープンにしたり、住民と粘り強く対話を続けたり、自分の給与を無給にしたり、日清戦争に出兵、帰還した人々を一人一人送ったり出迎えたり。。。こういった努力が認められ、少しずつ賛成してくれる人。お金を出してくれる人が集まるようになった。
・温泉は評判となったが、それだけではなく港から松山まで来ていた鉄道をさらに道後温泉まで伸ばしたり、裏山に花を植え、整備することで散策ができるようにしたり、能舞台などの文化施設、宴会場なども積極的に設けたところ、一般人だけでなく、実業家の需要も大変すごくなった。
・それから100年以上たった道後温泉は、ミシュランガイドで三ツ星を獲得。国内外から年間70万人の人を呼び寄せる。伊佐庭は「100年経ってもどこにもまねできない温泉」を目指したが、まさしくその通りになった
道後温泉に行かれる前には、ぜひそのことを思い出してください。そして、お湯や風情を楽しむだけでなく、その歴史も味わうことで何倍も楽しさが増すと思うんです。
また、湯布院も黒川もそして他の温泉地もそうですが、昔から湯が沸いているというだけで発展するということってないんですね。地域の人たちが同じコンセプトを大切にし、大事に育ててきたことで、そこに賑わいが生まれ発展するんですね。とても勉強になりましたし、温泉に対する見方が変わった気がします。
あ、それともう一つ最後に。道後温泉本館を保存に尽力している建築士さんは、夜施設を見るのがおすすめだそうです。障子や窓からぼんやり灯りが灯るその景色は、この施設の素晴らしさを感じるのにベストな瞬間だそうです。
感謝:キャプチャ写真はflickrより引用しました。zamojojoさん、素敵な写真をありがとうございます。